読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イノウエさん 好奇心 blog

井上慶太郎の学術系スナップショット。月1予定。

Zauber(ツァウベル)

f:id:keitarrow:20170503164022j:plain

(5.16 updated)
見田宗介氏の『社会学入門』(岩波新書・赤版)から、ブログします。

去年も紹介したこの著書ですが、今日、取り上げるのは序章から6章あるうちの、第1、2章です。
ページ数にして40ページ強。この中に好奇心膨らむ物語が、詰め込まれてます。

雑駁ながら語られてるテーマ、内容、要約、を下に列記しました。

小見出しは本文のものではないです
ーーーーーーーー
社会学入門』
1章
旅での出会い
・山本満喜子さん(ナチスの海軍将校と駆け落ちした女性。相手の将校はドイツの潜水艦を盗んで、アルゼンチンへ亡命、満喜子さんは陸から合流、その後、ダンスクラブの事務員として働き、昼間は練習を続け、やがて世界的タンゴダンサーとなり、カストロゲバラの目に止まる。満喜子・カストロの信頼が唯一の日本=キューバの国交窓口だった時期もあったほど)という女性にスーパーで出会った話
・ペルーのバス停で話しかけてくる人たち、時間を費やすのでなく、時間を生きる人たちの話
など、語られてます。

世界初の公共時計
14世紀前半、ミラノなどイタリアの諸都市で設置。時間の枠組みの中に生活がはめられるようになる。時計の針は1本だった。その後、現代になるにつれ分針、秒針が加わり当時に比べ尺度が3600分の1に細分化された話

メキシコの死者の日
11月1日、2日に行われるメキシコの原住民(インディオ)の祭りは墓場で日夜宴会を行う。準備にも幾日もの時間を費やし、死者のための食事を用意するという話

アメリカの100ドル紙幣
”Time is money"の精神のベンジャミン・フランクリンは、近代化の象徴だが、一方、非経済的な生活習慣の絶滅が望ましい、との旨を手紙に残す話

など語られてます。

コモリン岬
2004年12月スマトラ沖大地震で、コモリン岬を津波が襲ったとき、インド空軍でも救助できなかった旅行者を、地元の漁師が救った話。

花への畏怖
手向くるやむしりたがりし赤い花
小林一茶が親しくしていた幼い少女に、摘みたがっていた花を添えた、という内容。

色の聖域
ローマ時代にも、聖徳太子の時代にも、最高位に紫が置かれた歴史的背景。
日本人は色彩に対しても、隠語を用いた。白いカミシモは、イロギ、イロカミシモ、と言うなど。

魔のない世界
ベートーヴェンの第九、第四楽章、大晦日に合唱される名曲で語られるシラーの詩。
1989年、ベルリンの壁が崩壊した時も、その後のオリンピックで東西ドイツの選手が金メダルを取った時も、1986年の東京サミットでEC代表が空港のタラップから降りてくる時にも、この合唱部分が演奏された、その背景。

ツァウベル(魔力)の行方
見田氏は、近代化することと、聖域が葬られることと、同時に進む両義性に対して、
「獲得するものの巨大と、喪失するものの巨大の、双方を見晴るかす空間へ思考を挑発してやまない」
と、章をしめます。

上記、たった新書の1/4程度の箇所で、さらっと読めます。
興味が広がるエピソード多いはずです。楽しめる人もいれば、このままではいかん、と思う人もいるかもしれませんが、オススメです。


社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)

アブラハム・パウロ・イエス・危口

f:id:keitarrow:20170401223542j:plain

(4.15, updated)

2016年度、自分が最もインスパイアされた記事は、「法に背く罪と、法に委ねる罪がある」といった内容の記事でした。

この内容は、『やっぱりふしぎなキリスト教』に織り込まれたキリスト教の研究者、大貫隆氏の話の中で触れられたものです。
ちなみに大貫氏の語るエピソードの出典は、遡ること事2000年、ユダヤ教から派生したばかりの初期のキリスト教を布教したパウロの視点です。

ユダヤ教の熱心な律法学者だったパウロですが、面白いです。

ところで、持論で恐縮ですけど、自分はこんなことをよく思います。
「思い悩んで出した結論が正しかったときは、それを初めから正しいと知って出した結論よりも価値がある」と。
この考え、べつに特別な視点でもなく、大勢の平均的な感覚かもしれません。

例えば、世の中にある大切な事が、どれも制度化されたら、それは楽かもしれないが、きっとつまらない、と大勢の人が思うかもしれません。

親孝行は大事だからといって義務化したり、挨拶をしない人や投票に行かない人に例えば、懲罰を課そう、とする方針も同様に批判されます。

良いと思われることを予め定める社会より、人の自由や、考える力から生まれる意見のほうが価値があると思う人が多いから、だと思います。自由権愚行権の関係にも顕著です。

ところで、この話を元にすると、物事をわかりやすくする仕組み(規則etc.)は、できるだけ少なくした方が善い。その方が、人を育てるんじゃね?
と言う主張も生まれそうですが、実際はどうでしょうか?

その視点に立つと、例えばビジネスで、商品の価値は解りやすいほど売れるかもしれない、けれどきっとつまらない。とか。
娯楽は、アッと驚く刺激的なものの方が解りやすいかもしれないけど飽きるだろう。など。
そんな感想も多くなりそうですが、どうでしょうか?

...法律も決まりごとも、減っていくというよりはむしろ増えているような気がします。経験や、愛情や、人を思いやる力があれば、決してやらないはずのことを僕らは結果してしまうから、かもしれないです。

短い時間で、インパクトを与える表現も増え続けているような気がなんとなくします。いずれ飽きる事まで考えて、僕らは娯楽や消費活動を楽しんだりできないから、だと思います。

どうやら現実はそんな身体感覚が、法律に対しても、娯楽に対しても、文化に対しても、その基盤となる分かりやすさのテイストを要請していると、言えそうです。

ちなみに自分は現代心理学の学士(大卒)の立場なのですけど、ひとまず、この最小単位の身体感覚迎合主義のようなものを、面白がってます。これをひとまずマイクロポピュリズムと言っておこうと思います。

そんな現実に直面しているさなか。
大貫隆さんの指摘は辛辣でした。

さっそく、パウロの話ですが、彼はこんなことを言います。

掟が登場した時、罪が生き返って、私は死にました。
そして、命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることがわかりました。罪は、掟によって機会を得、私を欺き、そして、掟によって私を殺してしまったのです。
ローマの信徒への手紙7章9節~11節

辛辣すぎて面白いです。

掟によって彼は、死んだそうです。
ルールそのものは、善と悪の区別を具体化するので、その罪の量を定量的に計測できるようにします。
おかげで生活は円滑になります。ただ、この”秤”を人が持つことで、同時に、パウロは根源的な罪が生まれると考えました。

大貫氏の言葉を通すと、「信仰的競争心を生むエゴイズム」を助長する、そうです。ユダヤ教徒の慣例を背景に語ります。

「掟」とは、モーセ律法に含まれる、ほとんど無数の個々の条項が信仰的真面目さの尺度とされているあり方のことである。それは容易に人間を信仰的真面目さの競争に誘うことによって、人間のエゴイズム、つまりパウロが単数形でいう根源的な「罪」を誘発する力となる。
『受難の意味』P40 東京大学出版会

パウロはこの罪に侵食されることを人の生死と結びつけました。生きていても殺されているという、発想になってます。やばいです。

そしてパウロは、キリストが十字架に掛かって死んだ事例を、反対に、身体が死んでも生きる状態の象徴として位置付けて、例の根源的な罪から解放される、キリスト教の贖罪信仰をローマを始め、地中海沿岸へと布教したのだそうです。

ところで、価値の客観的な尺度を元にした競争社会は、ポピュリズム、効率化、データ志向の現代社会の風潮と重なります。

あらかじめ良いと知覚できるものを、人が無批判に追いかけることのリスクは、エゴが強くなって、回り回って人に余裕がなくなる。そんなとこでしょうか。何れにしてもパウロの言う死ですね。

この根本的な罪から抜け出す方法は、パウロは信仰だといいます。
自分には正直よくわかりませんが、漠然とですけど、大貫さんのおかげで、キリスト教誕生の背景が少しわかった気がしました。

よく分かる論旨と、わからない論旨が混ざった、とても自分の好きなジャンルの話でした。


ちなみに、哲学や芸術の分野はすでに、この手の「善と美の対立」の話や「善いこと」に集中する「権力構造」への批判を、政策や作風の中で取り込もうと創意工夫をしてます。

哲学の分野で言えば、キルケゴールの反復の哲学もそうですし、絶えず血の通った選択を日常生活に求めた、ニーチェ永劫回帰の哲学も、物事に血を通わせるアイディアに富んでいて面白いです。

芸術の分野で言えば、娯楽に潜む権力構造を、舞台と観客の配置に置き換えて考察した、例えば、劇団、悪魔のしるしの故・危口統之さんが腐心していたことにも顕著で、面白いです。危口さんのインタビュー記事が、下に紹介した『えんぶ』などでも紹介されていますが、その他、ゲンロンカフェで鼎談される生前のコメントなども面白いです。
先日、41歳と若くして他界されましたが、彼に対して、今も好奇心が膨らみます。


受難の意味―アブラハム・イエス・パウロ

受難の意味―アブラハム・イエス・パウロ

やっぱりふしぎなキリスト教 (大澤真幸THINKING O)

やっぱりふしぎなキリスト教 (大澤真幸THINKING O)

えんぶ 2016年 12 月号 [雑誌]

えんぶ 2016年 12 月号 [雑誌]

2017年新宿ガザ地区

f:id:keitarrow:20170303110702p:plain

 2009年1月16日、イスラエルのニュース番組「チャンネル10」の放送中、コメンテーターのシュロミ・エルダーは突然、電話をとった。相手は友人であり、ガザのジャバリア難民キャンプ出身のイゼルディン・アブラエイシュ医師だった。医師は、封鎖され報道機関の立ち入りが許されないガザから日々近況を報告していた。「ああシュロミ、ああ神よ...家が爆撃された。私の娘が殺された。私たちが何をしたというのか。...神よ」
 生放送されたこの映像は、瞬く間に他局やネットを通して全世界に拡散された。この映像を見たイスラエル南部、スデロット出身の女性はこう語る。「イスラエル社会の大半の人々が見たくなかった」「見えなかったパレスチナの人の苦しみが声と顔を持ってしまった。それはもう憎むべき敵ではなく、一人の人間、一つの物語、一つの悲劇、そしてあまりに大きな痛みだった」イスラエル人をはじめ全世界の視聴者たちは、封鎖化されるガザへの攻撃で家族を失ったパレスチナ人の痛苦の実態を目の当たりにすることになったのである。

2014 ラジ・スラー講演会 資料集
『ガザに生きる自由と尊厳を求めて』P27 黒田くるみ


上記の惨事に襲われたアブラエイシュ医師は、下記のように、表明しました。

「もし娘たちがパレスチナイスラエルが和平に向かう道のりの最後の犠牲者だったと知ることができたなら、私は彼女たちの死を受け入れることができるだろう。たとえ、イスラエル人全員に復讐できたとして、それで娘たちは帰ってくるのだろうか。憎しみは病だ。それは治癒と平和を妨げる。」
イゼルディン・アブラエイシュ


アブラエイシュ医師にとっての問題の解決法は、憎しみを憎しみで復讐する方法でなく、治癒する方法に変えるものでした。
その治癒の方法をさらにメディアを通して拡散させます。

ところで、今日、僕は、打ち合わせのため、新宿のバスタ内にあるDEAN & DELUCAに来ております。
早めに着いたので、ジャンバラヤの弁当を食べてコーヒーを飲み、図書館から借りてきた『人生の意味の心理学』(アルフレッド・アドラー)に目を通していました。

読み返すと、アブラエイシュ医師とアドラー心理学の共通項に気がつかされるのでした。それは、共同体感覚をとおして解決策を図る点です。

「人生の意味」の印は、それが共通の意味を持っているということである。
他の人が共有できる意味であり、他の人が受け入れることができる意味である。人生の諸問題への妥当な解決は、他者に対しても常に手本になるだろう。なぜなら、そこに我々は共通の問題が成功した仕方で対処されているのを見るからである。天才ですら最高の有用性に過ぎないと定義できる。

ルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』訳 岸見一郎 2010
[What Life Should Mean to You, Alfred adler ,Little, Brown,1931]


一般的に複雑だと思われる問題に対して、多くの場合は諦めてしまう状況がよくあります。たしかに、大抵の場合こんな風に。

1. 複雑な問題は解決の方法がない
2. もしあったとしても理想論でしかない
3. 考えるだけ徒労に終わる

ですが、共同体感覚を抱いていれば、思考のプロセスは変わります。

1. 他者の複雑な問題を解決する創意工夫は、自分の問題に応用できる
2. もし解決策が理想論なら、理想に向けた小さな努力を具体策にできる
3. 興味を抱くことで他者の問題が自分の問題になる

追記:著書を読んだイノウエなりの解釈です

イスラエルの砲撃で苦しむガザ地区の記事は、アブラエイシュ医師が、想像力を選んだことを伝えるものでした。
復讐ではなく治癒の方法を選び、三人の娘の命を争いをなくすための犠牲と考えた、その想像力です。
彼の苦しさは計り知れませんが、彼の問題への対処する姿は、自分の共同体感覚を通して、自分なりの行動を引き出します。

僕は、ブログを書きます。


資料をお貸ししていただいた図書館員さん、今回もありがとうございました。

ところで、明日は2女の初節句、私は、あんみつの寒天作りと、ちらし寿司が担当です。
ひとまず、ここに全力を投じたいと思います。

イノウエさんは具体的にはブログを書きます

f:id:keitarrow:20170201222934j:plain


 1月20日のワシントンポストは、「神は壁を否定していない」と語るある牧師さんと、トランプ氏が対談したことを話題にしておりました。
"God not against building walls"

 ...神はそんなふうに思うんですかね。

 ところで今日ぼくは、自分の目標を書こうと思います。それは"その人らしさ"を世の中に増やすことです。当たり前のことを言うようですけど、読んでいただいた人と共有できることがあるかもしれない、と思うので、もうすこし噛み砕きます。
(2/4updated)
 そもそも、世の中にはいろいろな人がいて、人それぞれの価値観を持っているので、他人に必要以上に関心を向ける必要はないかもしれないです。二丁目にできたラーメン屋は立地が悪い、まもなく潰れるだろう、とか、難民受け入れを表明した時のドイツの外交官は評価できる、と発言したりすることは、本当は必要ないのかもしれないです。
 やるべきことを仕損じると痛い目にあいますけど、余計なことに気を配って失敗した場合はなおさらだからです。そのことを分かっていれば余計なことに首を突っ込まないほうが良いはずです。
 恋人の誕生日、余計なことに気をとられて一度プレゼントを渡し忘れたとしたら、殺伐とした空気が数時間とか1日を通して流れるでしょうか、否、場合によっては次の年の誕生日まで響くと思われます。
 だから、「自分のしなければならないことも出来ないうちに、中途半端に他人に気をかけないほうが良い」と、世間で言われるようなことも常識的に思えてきます。リスクのありそうな世界と自分のいる世界との間に壁を作る常識です。

 ですが、大勢の人と同じで、自分のこれまで見てきた世界は違うものでした。もっと心地の良い世界です。
 何が違うのかというと、それは良い意味で、もっといい加減な世界でした。例えば、ぼくの父親の世界です。父は、月刊ムーという雑誌を好んで読んでいました。その雑誌には、ヒマラヤに800歳の聖者が今も生きてる、という記事を載せるレアな雑誌でした。聖者に興味を示す父は、夜はバラエティ番組を放映するテレビ画面に向かって注文をつけたり、電源をつけっぱなしで寝たりするような、ただの人間でした。父が、ある日、「天網恢々疎にして漏らさず」この言葉の意味わかるか?と尋ねてきました。

 それは中国の諺で、意味するところは、「天の網は、目が粗いけれど全てを覆い尽くす、転じて、肝心なのは大局で見ること」なのだそうです。
 正直、何が何だか、今も、よくわからないですが、変わった状況や人に触れ続けてきました。高校時代のA石やK藤も同じです。とにかく血気盛んな変な人間が、周囲を取り巻く世界でした。
 その世界は、壁には穴だらけで雑多なものが入り混ざる環境でした、「人それぞれ」と、簡単に縦割りで全肯定できない世界で、それより、余計な関心が横に広がるような世界だったと自分には思えます。隣の高校にすごい奴がいる、などいろいろな余計な噂話に関心を寄せていました。
 それは日本野鳥の会の人が探鳥会に集まったり、みうらじゅんが”いやげもの”を集めたりする世界に近い気がします。分かりやすく言うと、楽しく散歩が続けられる環境です。
 
 というわけで、明確な価値を強くする世界でなく、輪郭のおぼろげな、その人らしさの価値をより広げていきたい、というのが、今更ながら掲げるわけではないですが、自分の目標です。探究心や問いかけの価値を他の人と味わったり楽しんだりすることが実践方法です。
 具体的な方法は、自分にとってはブログを書くことです。他の記事←

 徐々に、露骨に、排外的な方針に傾くテレビで放映される風潮に、うっかり触発されましたが。

 シェアできるものがあると思って書きました。同感〜、と思っていただける人がいたら、ぜひとも、このサイトを宣伝してやってください。同時に、それぞれの工夫で、自分らしさを濃くできたらうれしいです。
 

¥切り下げ政策だったんだ

f:id:keitarrow:20170101054555j:plain
(2017.1.11 加筆)
新年あけましておめでとうございます。

仏、歴史学エマニュエル・トッドが著書の中で、面白いこと言ってました。

「自国通貨を切下げられないこと」が、EU連合の破綻の主な原因なのだと。そして、日本の金融政策を引き合いに出して評価してました。

どういうことか。

なし崩れ傾向にある今のEU問題を、ヨーロッパ統合の理念の問題や、ポピュリズム台頭の問題として焦点を当てるのでなく、加盟国が通貨切り下げ能力を失った、という銀行の仕組みに焦点を当てます。

ここでは、成功例として対照的な、第二次安倍政権をある程度評価します。ちなみに、2012年12月26日発足当時、70円代だった円は2017年1月、現在110円代後半となり、株価は2倍、貿易収支にとってはプラスに働いています。
実際のところ肝心の、労働者賃金の中央値も、物価も上がっていないので、本心はわらかないですけど。
ひとまずアベノミクスを説明するのに用いられてきた言葉、トリクルダウン、三本の矢、成長戦略などに変えて、トッド氏はこの政権の政策を「円切下げ政策」という一言で語ります。
枝葉末節した捉え方で、気持ちいいです。

ちなみに、EUではギリシャ財政破綻が話題になりましたけど、観光立国であるギリシャが自国通貨ドラクマを発行できなくなった結果、財政難に瀕したときに通貨安の恩恵を受けられず、観光客を誘致できなくなり、財政難に拍車をかけた、という事実を見れば、わかりやすいです。
もしドラクマのままだったら、財政難に直面したときに、今の日本のように通貨の流通量を多くして、自国通貨安を招くことができました。すると債務は膨らむけれど、その分、割安になる観光業が活性化して、国外からのインバウンドを得やすい)

この自国通貨発行の裁量の問題は、今後のEU問題、特に貿易や観光で潤う地域にとっては死活問題だということに気がつかされました。
通貨の役割って面白い!

というわけで、エマニュエル・トッド歴史学者の視点で見る経済解釈、大局で見てる感が面白いです。

そして、写真は我が家の娘、キラキラしてて、将来の社会情勢も、五割り増しくらいで明るく見えますね。

ポピュリズム台頭までの哲学史

f:id:keitarrow:20161217072025j:plain

12月4日、日本時間22時。
オーストリアでは大統領選挙、イタリアでは憲法の改正の是非を問う国民選挙が間もなく始まる。
どちらも、自国のEU離脱を促す排外主義的な政権樹立の可能性が秘められているのだが、Brexitやトランプ氏の勝利など、昨今取りざたされるポピュリズム政治台頭の背景を、経済格差や金融の仕組みなど形而下学の諸問題からでなく、僕の知るところの哲学史から追ってみようと思います。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人々を魅了した哲学の歴史
(2017.2.5updated)

●~16世紀
宗教的価値観(西欧・近代以前)
➡︎人々は律法や教義を価値の中心に据えていた。

●17世紀〜
経験主義(イギリス)
➡︎金銭や既に価値の認められるものや快適さ、など即物的な価値に基づく利己心が判断の基準にされやすかった。
「人は、真っ白な状態(タブラ=ラサ)で生まれてくる」ジョン・ロック(1632~1704)
「パン屋がパンを売るのは、博愛の心からではなく利己心からである」アダム・スミス(1723~1790. 『国富論』)

大陸合理主義
(フランス・ドイツ=神聖ローマ帝国
➡︎人は、生まれた時から理念によって本質に関わることができると考えられた。
「物を見る時に絶えず理念が働いている」ライプニッツ(1646~1716)


●18世紀
カントの哲学
➡︎ドイツの哲学者イマヌエル・カントによって経験主義と合理主義が統合された。

人は三つの能力(分析力・理性・判断力を含めた体系的能力)を通して、主観と美意識を働かせ、さらに世界平和や優れた芸術を産み出したり評価できると考えた。

1. 分析力(...悟性)は、瞬時に物事を分析する力、例えば、利益を把握する、経験主義の視点
2. 理性は、物事を推論立てる能力、夢や将来の構想を描く、合理主義の視点
3. 判断力は、道徳や美学的なセンスを伴う能力。例えば、公共哲学や芸術の視点

1->利己主義になりやすい 
2->理想論になりやすい 
3->平和の視点を育てる

ーーーーーーーー
カント賛成組
● 19世紀
ドイツ観念主義etcフィヒテヘーゲル
➡︎世界精神(理念)が社会を発展させると考えられた(絵に描いたモチだと批判も)
Ex. 国連の基礎を作る。マルクス主義を生む。
共産主義や、普遍的人権の構想、コミュニズムを生むetc

カント批判組 
●20世紀前半
実存主義etcサルトル
➡︎観念主義は絵空事にすぎないと論じられた
「人は何かの目的に従って生きるわけでなく、生きることが目的そのものである」
「人は絶えず自由の刑に処せられている」
「実存は目的(..本質)に先だつ」
サルトル (1905~1980)
(経験主義や個人主義が広まる)
ーーーーーーーー
●20世紀中盤
構造主義実存主義の否定) 
人の主体性は、構造側に決められている、と考えられた。

Ex. 自然界にある無数の元素から少数のものが集まり、例えばタンポポを形成する。同様に無数の音の中から少数の音声が組み合わされ、その地域の言語、例えば日本語が形成される。各々の形成過程は無数から少数が選択され、同種のものを構成するという共通項がある。そのため、人間の主体性にも普遍的な構造が備わっている。と、考えられた。

➡︎比較文化人類学において人間の普遍性は開かれている。
➡︎サルトルを論破。『野生の思考』
レヴィ=ストロース(1908~2009)

●20世紀後半
ポスト構造主義(脱・構築主義
➡︎人の普遍性や体系的な哲学に対して、または実存主義のような内向きの哲学に対して、それらの概念は曖昧なものだと指摘した。

ドゥルーズ(1925~1995)
・人の主体性は非連続と連続の混ざるリゾーム状態。
・人は矛盾する
・考え抜かれた賛成票と思いつきの賛成票には差異がある。
・普遍性には、奇跡のニュアンスが含まれる
これらのことに着目しよう!見直そう!
➡︎
Ex.「反復」「差異」「記憶」の概念を導入する。etc

現代
・ポスト構造主義の哲学によって、言葉には二重の意味があることや、生体の記憶や差異の影響があることが、論じられた。人は、理念をもって生まれるかもしれないし、そうでないかもしれない。
また、実存主義構造主義も、同時に成立するような多くの矛盾を肯定する哲学が直近の哲学である。

ーーーーーーーー
僕の知るところの哲学史は、上記のようなものです。

そこで、なぜ、現在のポピュリズム政治や排外主義に傾向するのか、仮説を立てました。

・ポスト構造主義の哲学が象徴するように現代社会は複雑で、体系的な理解が困難である。

・思考を疲弊させるより、シンプルな理解や、開放感、いわゆるカタルシスを、ぼくらは欲している。

・はっきりと目に見える価値を重宝する経験主義は、判断の基準としやすい。

・結果的に、多様な矛盾を抱える現代の哲学ではなく、複雑な問題を切り離す排外的な哲学を、受け入れやすい。

➡︎ポピュリズム大衆迎合主義)が社会に台頭する
(UK離脱問題、トランプブームetc)

ーーーーーーーーーーーーーーー
こういうと身も蓋もないですが、上記の仮説は、ぼくたちが、わかりやすさを求めたり、認知コストを削減することが好き。ってことが背景にあるのかと思います。

なんども歴史は、経験哲学だけに基づくいわゆる利己主義と、知恵への愛情(フィロソフィア)に基づく公益優先の利益重視の立場との間を行ったり来たりしている様子。

そこで昨今離れつつある、フィロソフィアに基づく流れを取り戻すには、一言で言えば、「頭を耕す」という意味での、Culture、Cultivation=「文化を育てる」ことに、尽きると思います。
どうやって?。
という問いに、ポピュリズム社会は直面しつつ。その答えは、一人ひとりがすでに自分の方法で探っているそれ、ですね。
自分にとっては、知恵や命に対する愛情をどう育むか、という問題に直結します。


今年もお世話になりました。
8月には祖母が亡くなり、10月には新しい命が誕生しました。
命の不思議さ、輝きのようなものを感じる年でした。
みなさま、来年もブログ書くのでよろしくお願いします。^^

形而上から形而下へのパリ盆地

f:id:keitarrow:20161101234625j:plain
写真:Chim↑pom 『明日もまた見てくれるかな』の会場にて

先日、図書館員の方からある本を貸してもらったのですが、今回はその受け売りです!

『シャルリとは誰か?』(エマニュエル・トッド、2016)

この本は、2015年1月7日のシャルリ・エブドの事件の後、フランス全土で見られた大規模な民主運動について、「私はシャルリ」とメッセージが掲げられた、その現象を歴史人口学者の見地から検証した本です。
トッド氏の見解は冷淡なもので、フランス国民の行動が一種の倒錯やヒステリーのようなものだと断罪して、その根拠を詳細に語りました。

データに基づいた緻密な分析もさることながら、この辺の大胆さも面白い。

たとえば。
1960年以降のフランスで、脱キリスト教が本格的に進んだ、ということを受けて一言。

信仰が変質したり崩壊したりすると、その後にしばしば革命的な事件が起こる。形而上学的な枠組みが消失すると、人々の間にほとんど機械的に代替イデオロギーが浮上する。それらのイデオロギーは、それぞれが標榜する価値において多様だが、たいてい物理的に暴力的なものとなる。

人々から哲学(meta-physics)がなくなると、価値観は多様になるが、その大体は物理的(physical)に乱暴になるという話です。

それから社会学の中ではとても有名な、キリスト教の"予定説"(免罪符を買えば救済されると考えたカソリックに対するルターの宗教改革の時、出現したカルヴァン派の説)に言及します。この説では、何かをしたら救われるという条件を排斥した信仰に基づくので、救済される人は予め定められている、と考えられた。
そこで、カルヴァン派の影響下にある信者は、自分が選ばれているに違いないと信じて勤勉に資本を蓄え、フランスではユグノー、イギリスではピューリタンとなり、産業革命を通じて、現在君臨するアングロ・サクソン経済の基盤を作ったと言われる。そこで...

ルター派の運命予定説は、救済の可能性の前で人々が不平等であることを、人々が生まれる前から永遠の神の意志によって意義申し立ての余地なく、選ばれているか除外されているかが決まっているということを断定していた。この権威主義的で不平等主義的な神学が、1933年には、地上における即時の奴隷と不平等という要求に置き換えられたのだ。人種によって人間が選別された。人間の資格はアーリア民族の占有物となり、ユダヤ人は絶滅収容所の地獄へと宿命づけられた。ルターのいわゆる永遠の断罪が世俗の次元に転移されたのだった。

トッドさん、なんと、宗教改革の偉業とナチスの暴挙を結びつけてしまいました。さすがw

もともとの原義は形而上学(知覚できない観念的な思想を扱う学問=哲学)によって血が通っていたはずなのに、形而下学(知覚できる現象を扱う学問=実学)を通して世俗的になり、差別を生む。というような価値の両義的な問題は、とっても面白いです。

結局、あの「私はシャルリ」のデモは、脱キリスト教と貧困格差を特徴とする現代の、街ゆく人たちが、理性では否定しているはずの人種差別を、実は生理的乱暴さに関わるところで肯定したものだったと言います。
それは、まさしく難民受け入れの問題や、EUからの離脱問題、扇動政治、日本で言えば、外国人恐怖症など、もろもろ単純化される価値観に帰因するのだそうです。

ちなみに、トッドさんが乱暴と感じているのは、この著書の中ではIS関係のテロリストに焦点を合わせるのでなくて、テロリストの個別的な問題とイスラム教徒全体を積極的に分離しようとしなかったシャルリの姿勢を受け入れたフランス政府と国民の暴力性に対して、なんですね。

それから前から自分が気になっていた二つの疑問の一つを解消してくれました。

A. 風刺とはいえ少数派の拠り所とするものを冒涜するデリカシーの無さはどこからくるのか?
B. 教典に過激派組織の生まれやすい構造があるかを検証できるか?

この著書では、Aの回答を社会背景に見つけていたので、半分、腑に落ちました。ということで、

Laiciteの言葉もそうですけど、記号化による理解しやすさと、もともと血の通う原義との間にある、アンビバレンス(両義的)な価値の問題に、ポピュリズム化する現代社会は、いま直面してる、そんな感じを受けました。

ところで、先月はブログを初めて飛ばしてしまいました。本が読めなかったというのもあるんですけど、友人のクラウドファウンディングの目標額が達成されたり、なにより、井上家にNEW BABYが誕生したりと、盛りだくさんでした。やる気がないわけではありませんw

ということで、これからも、よろしくおねがいします。
読んでくれてる人で質問などあればどうぞ、コメントしてください。

シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 ((文春新書))

シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 ((文春新書))