イノウエさん 好奇心 blog

井上慶太郎の学術系スナップショット。月1予定。

人それぞれと人らしさ

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何か日常生活で意見がすれ違ったり、友達と喧嘩したりしたとき、はたまた議論が煮詰まった時「人それぞれだから」という言葉で、話を終わりにすることってないですか?

今回は、「人それぞれ」の深い意味を教えてくれる哲学を紹介します。
人それぞれと言っても、同じ人間だから共通する心があるだろう、そんな予想が立ちますね。これまでの学者はどのように考えたのかを、追ってみます。

そもそも人類に共通する何かを探求するような、人間を俯瞰したような考えに興味がある人とない人がいます。
それを、MAP LOVER とMAP HATER とある学者は表現しました。(福岡伸一、2012)
この、世の中の俯瞰図を好む人と、好まない人がいるという話は、実はすでに紀元前 400年頃から語られている哲学の人気テーマの一つです。
知恵を身につけようとする人は、むしろその全体像を知らないで良いと考える人たちにとって害となる、という内容です。(プラトン, B.C427~B.C357)

なので、いろいろな人がいてそのタイプの違いで主張も分かれますが、それを含めて、哲学一般は答えを探求していきます。

例えば、MAP HATERに好まれるような「人それぞれ」は、宗教的な価値観から解放された近代哲学で重宝されました。フランスの哲学者サルトル(1905~1980)は実存主義という哲学を主張しました。それは結果的には、「人それぞれ」の個人主義的な解釈を世間に広めるものとなりました。

個人主義的な意味での「人それぞれ」って、なんだか味気なくないですか?その時代、個人の主体性=実存という言葉だけでは、人の本性を説明できないことを、同じフランスのレヴィ=ストロース(1908~2009)が言及しました。

人間の多様性についての認識は、むしろ自己のアイデンティティの罠にひっかかっている人の方にときにはより容易に見えるものである。
しかしそれは、人間の普遍性の認識への扉を閉ざすことになる。ところがサルトルは、自分のコギトの虜となっている。(レヴィ=ストロース、1962、La pensée sauvage、邦題 :『野生の思考』

コギト:cogito ergo sum(我思うゆえに我あり)の"我"

そこまで言うなら、すべての人に備わる共通性(普遍性)ってなに?
という話になります。

それを、たとえば「人の体系」だ。
と論じたのは国連の構想を最初に公表したドイツの哲学者、イマヌエル・カント(1724~1804)です。

カントは前時代の哲学者でしたが、すでに、「人の体系」=その人らしさ、の性質を、「主観的普遍妥当性」と呼ばれる性質を用いて分析していました。(カント, 1790)
ちなみにカントは、人は誰も寿命がある、人はみんな違う個性があるという事実としての客観的な普遍性と、心の問題を扱う主観的な普遍性とを区別しました。

さらに、人の主観はそれぞれの在り方で人類に共通する美しさや道徳に関わる。との旨をカントは分析しました。

ある人の美しいと思うものが結果的に誰にとっても美しいものであるような美意識を、僕たちは備えている。なんてキザな主旨のことも言います。これが、主観的普遍妥当性の性質です。

MAP LOVERは、この性質に興味を抱くので体系や全体像を知覚しやすく、
MAP HATERは、そんなものを必要としないので気にも止めません。諸説ありますが、この感覚は"分量"の差がある、との旨をカントは記述します。

なので「人それぞれ」を単に「人それぞれだからお互いを尊重しよう」と解釈するよりも、

その人らしさを失わないそれぞれの生き方を尊重しよう

と解釈したほうが面白いぞ、と哲学は語りかけます。
この哲学は、ぼくらは人それぞれと同時に"人らしさ"を共有していて、さらに、分量に差はあっても、本質的なものに向けられた共感の力を備える。ということを意味してます。

賛否はさておき、こんな風に、それぞれの個別性と普遍性の関係について、歴史的にも議論を経ていたというのは、カント、サルトルレヴィ=ストロース、その後の、ジル・ドゥルーズなどを読んでみたところの自分の拙い見解ですが、まったくもって面白いですよね。



それから、私事で恐縮ですが、今年度から地元の図書館で働くことになりました。良い本を知るきっかけにしたいです。

野生の思考

野生の思考

判断力批判 上 (岩波文庫 青 625-7)

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国家〈上〉 (岩波文庫)

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