イノウエさん 好奇心 blog

井上慶太郎の学術系スナップショット。月1予定。

美しさを定義した人たちの話

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リサーチサイトに新しい記事を更新しました。
www.machinokid.net

(9/6updated)
ところで本日はこちら美学の話を掲載することにしました。

ちなみに、『走れメロス』は太宰治の著作として有名ですが、実は、もともとは、この文章の作者・シラーによるものでした。
ベートヴェンの第9の歌詞を書いたことも広く知られるシラーですが、友情や美についていろいろ考えた人でした。
しかも、考えただけでなく、「美」を定義したのでした。
一般的に、誰にでも当てはまる共通の美しさはないと言われます。人によって解釈も違うからです。だとすれば、定義など、無理だと思うのが普通の感覚だと思いますが、どうでしょうか。

それが、シラーさんや、シラーの美の構想の基礎となるカントさんも、その著書『判断力批判』の中で、美しさを、美学という形で定義付けました。
具体的にどのような軸を持っていたのか。追ってみたいと思います。

こんな例え話を持ち出して来ます。

 厳しく寒い日に、一人の男が追い剝ぎにあって、丸裸にされて倒れている。
 そこへ、一人の旅人が通りかかったので、彼は旅人に事情を訴えて救助を乞うた。旅人は心を動かされて言う、
 「まことにお気の毒です。私の持っているものを喜んで差し上げましょう。しかし、その他の助力を要求しないでください。あなたの様子を見ることは私には耐えられないから。向こうから人々がやってきているから、この財布をあの人たちに与えて、助けてもらいなさい。」

 その負傷した人は言った
 「あなたの志は良い。しかし人としての義務が要求するなら、苦痛をも見ることを忍ばなければなりません。あなたの財布に手を入れることは、あなたの弱い感情を少し押さえつけることの半分にも価いしないでしょう」

 この行為はどういうものであったか。
 功利的でもなく、道徳的でもなく、寛大でもなく、また美的でもない。ただ単に感情的であるにすぎないところの感動から生じた親切というだけです。

 第二の旅人が現れた。負傷した男は再び助けを乞うた。
 この人は金には惜しいが、しかし人としての義務は尽くしたいのである。そこで彼は言った、「もしあなたのために暇をつぶすと、私は1グルデンの損をするだろう。もし損をするだけの金をあなたがくれるなら、あなたを肩に背負って、ここから1時間足らずの僧院に連れて行ってあげましょう。」
男は答えていう、「賢いやり方である。しかしあなたの親切は、あなたにとって名誉あるものではないと言わなければなりません。向こうに馬に乗ってくる人が見える。たった1グルデンであなたが売る救助をあの人は無償で与えてくれるでしょう。」

 この行為はどういうものであったか。
 親切でもなく、義務を果たすのでもなく、慈悲でもなく、美でもない。ただ単に功利的であるというだけです。

 第三の旅人が負傷した男のそばに立ち止まって、彼の災難の話を聞き取る。
 その男が話し終わった後に、なお彼は思案しつつ、自己と戦いつつそこに立っている。しばらくすると彼は言った、
 「病身な私の体にとって唯一の保護であるこの外套を手放すのは私には苦痛です。また私は疲れ切っているから、私の馬をあなたに手放すことも苦しい。しかし義務は、あなたを助けることを私に命令します。だからあなたは、この馬に乗って私の外套を着なさい。そこで私はあなたが助けられるところまであなたを連れて行ってあげましょう。」

 負傷した男は答えた、「あなたは感心な人です。あなたの誠意に対しては感謝します。しかしあなた自身も困っているのですから、私のために難儀をさせられません。向こうから丈夫そうな二人の人が来ます。その人たちに私を助けてもらいましょう。」

 この行為はどういうものであったか。
 それは、純粋に道徳的であった。なぜなら、その行為は感情の関心に反抗して、法則に対する畏敬の念から行われたからです。

 次に二人の男が傷ついた男に近づいてきた。そして彼の災難について問いかけた。彼が口を開くやいなや、二人は驚いて叫んだ。「かれだ!我々が探しているやつだ!」男は彼らをみて驚愕する。
 この男は彼ら二人を不幸に陥れた男であって、彼らの不倶戴天の仇敵であり、彼を殺して仇を報いるためにその後を追っていたものだった。
 男は言った「今や、あなたたちの憎しみと恨みとを果たしなさい。私があなたたちから期待することのできるものは死だけである、助けではない。」

 「否」と彼らの一人が答える「我々がどんな人間であるか、そしてあなたがどんな人間であるかを知るためにこの着物を受け取って着なさい。我々は二人であなたを抱えて、あなたが救われることのできるところまで連れて行こうと思う。」
 負傷した男はひどく感動した(略)

 これに対してもう一人の男が冷ややかに答えた。「待て、私があなたを助けるのはあなたを許すからではない。あなたが惨めな状態にいるからだ」(略)

「私はどうなっても良い。高慢な敵のおかげで助けられるよりは、惨めな死の方を選ぶ。」彼は起き上がって立ち去ろうとした。


 その時、重い荷を背負った第五の旅人が近づいてきた。
 この旅人は彼を見るやいなや、自分の荷物を下に降ろして自ら進んでいう、「あなたは負傷している。そしてあなたはもう全く無力である。次の村はまだかなり遠い。あなたがそこへ行き着くまでに倒れてしまうだろう。私に背負われなさい。急いで連れて行ってあげよう。」

 「しかし勝手に人の通る往来に、あなたの荷物を捨てておいて良いのですか。」

 旅人は言う。「それはどうなるか私は知らない。そんなことはどうでもよろしい。私の知っていることは、あなたが助けを要すること、私が助けを与える義務があるということだけです。」

 この旅人の行為がなぜ美であるかを考えておいてください。





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友人・ケルナーに宛てた手紙より
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『美と芸術の理論』シラー(1973)
訳 草薙正夫(1936、岩波書店