イノウエさん 好奇心 blog

井上慶太郎の学術系スナップショット。月1予定。

カリアス書簡(つづき)

f:id:keitarrow:20170909051434p:plain


『美と芸術の理論』ーカリアス書簡 シラー著から引用

1793年2月19日
さっそく昨日の話の解釈をすることにしましょう。(昨日の話)
第五の行為が美しいものである理由は(略)まったく我を忘れて、自分の義務を、やすやすとあたかも本能から出たかのように行ったからです。一言で言えば、自由な行為は、心情の自律と現象における自律とが、一致する時に美しい行為となるのです。美的評価においては、あらゆる存在は自己目的とみなされるからです。(略)

 上記は、シラーの解説の一部です。

心情の自律、と、現象の自律、について補足:
心情の自律とは、〇〇のため、〇〇の目的からではなく自発的に自分の行為に制約を課す心の特徴。
現象の自律とは、見る人に負担をかけたり考えさせたりしない、むしろ自由さを感じさせる行為の特徴。筆者補足

まとめると、
自発的な義務を担い、なおかつ、気軽さを伴う行為は、美学的評価を高くする。
ということで、さらに噛み砕くと

 その人らしい意義ある振る舞いを、さらっとできる人は、かっこいい、と、シラーは言っている様子です。

 なお、義務や自律というと、いかにもかた苦しい感じがしますし、シラーが自らその人の学徒と称するカント本人は、それを「結果的に誰にとっても益となる行為」いわゆる道徳律、と言います。
 さらにこの道徳も人によって、独りよがりになりかねません。なので、経験的に検証することの大事さも語られます。

 ところで、シラーの例え話(前のブログ)では、多くの人が同様の責任感を抱きやすい状況として「貧困に窮した人を、助ける」といったデフォルト義務をあつらえました。命を救う=人類の義務、という図式に前触れなく導入しており、この点に疑問を抱く方がいれば、そういうことだと思います。例えば、利益を得ることに義務感を感じる人、そもそも素通りすることに義務感を感じる人、などもいるかと思いますが、哲学的には、結局、上記でいわれるところの自律的=美的な評価は、おおむね、一定の行動性向に収斂していきます。 

そんなこんなで、美を定義づけようとする人たちは、もともと芸術や視聴覚表現の美しさを、論じるのと同じ美しさを行動性向に対しても当てはめていたので、面白いです。
『美と芸術と理論』は、書店ではあまり置いていない書籍なので、調布の中央図書館の地下書庫で遭遇できたことが嬉しいです。


美と芸術の理論―カリアス書簡 (岩波文庫 赤 410-2)

美と芸術の理論―カリアス書簡 (岩波文庫 赤 410-2)